ゾルピデム?の副作用にいらつきとかせん妄とか書いてあるの調べちゃってワロタ。予定してる効能一切でてないのに副作用の方バッチバチに発揮してるやん。なんか冷静になっちゃった。寝れないからって追加でもう1錠飲んだから多分これ死ぬほどイラつきそう。でも元気になっていいのかも知らんね。元気になりすぎてこのまま家から飛び出してぶち殺しに行っちゃいそうだけど。。お医者さーん。はよ次の正しい薬処方してくれんかねぇ。このままじゃ犯罪者になっちゃうぅぅぅぅぅおぷ
精神病を盾にコンプラだのハラスメントだの死ねよって
とかく精神病のやつって希薄観念?死にたい?適当なこと口にするけどじゃあいざ殺されそうになったら、そこでありがとうっていうか?言わないよな?
嫌なことから逃げたいだけのくせしてそこで自分の命盾に命かけてますみたいなフリうざいんだよそういうやつ皆殺しにしてやりたいどいつもこいつもふざけやがって
結局逃げ出した先では自分にとって耳障りのいいこと言ってくれる人間周囲に集めてきゃっきゃっきゃっきゃ遊び歩いて迷惑かけまくって権利だけ主張してなんの義務も果たさず金だけもらってまた適当にあることないことでっちあげてなぁなぁに会社から金だけ貪り生き永らえようとする。死ね。今すぐ殺してやる。無知蒙昧な愚民どもに飽き飽きしたからヒトラーはユダヤ人を絶滅させようとしたしポルポトはクメールルージュしたわけで。人類なんてこの世界に不要だから抹殺して最後に自分は死のうとそう決意した英傑たちは皆愚民どもの反乱に負けて失敗に追えてきてる。あぁいやだいやだ。世界を滅ぼしたい。アメリカかロシアの大統領にでもなって全世界に核ミサイルばら撒いて人類滅ぼしたい。
過去を振り返りましょう - 中学校
中学に進学して、近隣の別の小学校からも生徒が集まり、規模が大きくなり。見識が広くなってもなお、チンパンジーどもしかいないなと諦めて、ひっそりと学生生活を送ることを決心したクソ陰キャことたたうさん。
この頃には親が購入したパソコンとドップリ仲良くなっておられたので、当時はメイプルストーリーとか遊んでたなぁ。クッソマイナーなゲームだとOUTPOSTとかいう韓国初のTPSRPGゲームも遊んでた。(今のS.T.A.L.K.E.Rやtarkovに通ずるようなRPGテイストを組んだTPSゲームでとても楽しかったんやで)
ネットの住人として、文字で人と会話することは円滑にできる反面、発話で人間とコミュニケーションを取るのは苦手なままのクソ陰キャさんだったものの、ゲーム好きみたいなところからコミュニティは少し広がり、男友達が10人くらいとまぁまぁ増える時期ですね。
なんならこの中学時代の友達の内3人くらいは20年経っても尚、不定期に会って遊ぶ仲なので結構すごい。持つべきものは友だなぁなんてのはこういう経験から生じる言葉ですねぇ。素晴らしい。
あとはこの辺からオタク趣味も増えたかも。一番キモかったのはローゼンメイデン(1期)にハマったりして紅茶の淹れ方めっちゃ上手くなった。いや、元々お茶好きでしたけどね?(オタク特有の早口)
そんでもってYahoo!ジオシティーズみたいなサービスで自作ホームページ作ったり、自作小説書いたりしてた。あと個人の自作HP作って自作小説公開されてるとことかすごく見漁ってた。スレイヤーズの同人小説書いてらっしゃるサイトさんとかあったんだよなぁ...めっちゃ面白かったなぁ。
あと(きっと何かのBLとかが元にあるんだろうけど)完全オリジナルで人の心を読める女主人公さんと唯一読めない男の人を主軸にした物語とかがすごく好きだった。てか今でも続き読みたいのに、もうネット上では見つけられなくなってて悲しい。
確かempty egg storeさんて名前でホームページ公開されてて、蒼井さん(だったかな?)と榊さん(こっちは多分あってる)て主人公だったんだけど...どうにかこうにか、作者さんどっかで活動してねぇのかなぁ。
必死こいて20分くらいネットサーフィンして探してみちゃった。やっぱ古いものは探すのも難しいよね。。そもそも公開停止してそうでしたし。
はぁ...ノスタルジックな気持ちになるのとともに謎の満足感。ちょっと今日はもうここまででいいかなぁ。
過去を振りかえりましょう - 小学校
生まれてこの方写真撮られるの嫌いなんてドヤってますが、そんなことはない。
亡きおばあちゃん家でこっそり自分の写真を探してみると、幼稚園通う前とかにはいくつか写真があった。4,5歳くらいになるともうほとんど写真なかったからもうこの頃には先述したような、自分というものを感覚的に理解して、記録される、固定化されることに嫌気がさしていたのかもしれない。う〜ん、早熟。
でも実際問題そんな気もしていて。小学校入る前には達観した人生観を既に獲得していたと自負したい。なぜ生きていかなくてはならないのか。人生なんてこんなもの、死ぬまでの時間潰し。死ぬのが怖いから仕方なく生きる。くだらないものだと小学校通い始めたころにはずっと考えていた。
周りのチンパンジーみたいな愚かなクソガキどもを冷めた目で見ながら、ずっと考えていた。
本当に学校生活は嫌だった。なんでこんなゴミどもと集団生活を強いられなければならないのだろうか。自分にやりたいことがあるわけではない。ただ、決して、こんなゴミどもと一緒の箱に押し込められて生活させられていたら健やかな精神なんて育まれるわけがない。無知蒙昧にして愚かなゴミが一人増えるだけではないか...そんな風に思っていた。
でも、そんなませたこと考えつつも、年相応に小っ恥ずかしいことだって色々やってる。
下痢気味の時にトイレ調整我慢できなくて授業中になんとか先生にお願いしてトイレまで走ったけど間に合わなくて若干ウンチ漏らしたりもしたし。
仲良く(?)してくれてるのか、単にいじってきてただけか知らんけども、そういう人たちとは中学に進んでも一応仲はよかったし。(高校以降、会ってないけど)
精神を病んだ人によるトラウマという安っぽい言葉
まずは現況を見つめて言葉に起こして受け止めてみたいと思う。
・なぜこんなブログなんてものを唐突に始めたのか。
職場でだるいこと重なりすぎて精神やんだため2週間のお休み中。仕事人間として生きすぎていた結果、何もやることがなさすぎて焦燥感にかられて。
あまりにも孤独に生きすぎているが為、どこかで人と繋がれるかもしれない、そういう淡い期待を秘めてインターネット上にアウトプットしてみるテスト。
こんなところかなぁ。びっくりしたよね。職場でトラブル起きてて対処のために14連勤してて最終、心ポッキリ折れて休みます!て強行突破したけど。
2日間はベッドの上で飲まず食わず蠢いてる生ゴミだったけど。
3日目にはもうやることなくてソワソワし出して仕事した方がいいかもしれないとか思い出すわけで。
頑張って心療内科も予約したし、受診するまでは最低限仕事しないで休もうって頑張ったけど、頑張らないと休めないって自分を見つめ直してちょっと嗤える。コワイコワイ。
自分を構成するものが仕事以外に無さすぎるしんどさ。それなのにその仕事で心折れて放り出した自分の無力さ。その辺でなかなか自暴自棄というか自身の価値の無さに絶望というと安っぽいけど辟易としたよね。
なんか他に自分にはないの?て見つめ直してもなんもないので、見つめ直したくない。という。
鏡とか、写真とか、そういう自分を見ることができるものが生まれてこの方非常に大嫌いなんだけど、多分そこにはこういう気持ち的な面が作用している気がしてならない。
自分自身を感覚的にはこういうゴミだよねって把握してしまってはいるけど、受け止めたくはない。だから視覚的に映し出す鏡や写真が嫌い。特に写真は固定化もされるから、記録されるから、尚のこと嫌いって感覚が強すぎて...ダメなんだよねぇ。
トラウマとかいう安いことばでこの感覚を捉えるのも幼いなぁとは思うけど、とにもかくにも、自分が写真撮られるの大嫌いなのはこういうところですねぇ。